the Book - SELFLESS SELF    

溶けゆく過程は一体化への道行き。 

   見なさい、そして待ちなさい!溶解の過程が始まったのだ。あなたを強くする多くの経験が おきるだろう。考えてはいけない、もしくは、「これはそれなのか?」とか「あれはそれなの か」と問いながら、究極的真理であるものと自己を同一化するようにしなさい。「究極的」と か「究極的でない」の言葉については忘れなさい。あなたの語彙からこれらを取り除きなさ い。あなたの自ずと起こる存在が究極なのだ。あなたの自然発生的で見えない存在が究極なの だ。 

     「自ずと起こる存在」に応じて経験が現れる。 
   この溶けゆく過程の間にあなたが経験していること、起きていることは、正しい。起きてい ることが意味されることだ。それは独自の道をたどっている。妨害してはいけない。何が起き ているとか起きていないとかについて疑問を持つ必要はない。 それが溶けゆく過程。

     それが一体化への道行き。 
   経験の重なりは、あなたを溶かしているこの溶けゆく過程の中で起きている。究極的段階に あっては、目撃者、目撃、目撃することは、すべてことごとく消えてゆく。あなたは何も目撃 できないだろう。これが起きれば、それは瞑想の結果なのだ。なぜ私は瞑想を強調するかとい えば、子どもの頃から今日まで私たちに多くの思考が押しつけられているからだ。それゆえ溶 けゆく過程にはある程度の時間が必要だろう。これが、瞑想が求められる理由だ。  
   あなたは強い「専心」を持たねばならない。これが完璧な条件だ。あなたは自分の自己(セ ルフ)に対して強い専心を持たねばならない、その非同一化された自己同一性をあなたに示した 師に専心を持たねばならない。 
   なぜ師を求めるのか。教えが守られたのは、師によってのみである。ニサルガダッタ・マハ ラージなしには、私は一言も発することができなかっただろう。私は幸福や平安を求めてまだ 寺院へ行くだろう。しかし、今や私たちは強い基礎を持っている。私の師が言うことは、「あ なたの『自己なき自己(セルフレス・セルフ)』以外には、何もない。」ということなのだ。 私が自身を見るとき、そこには何もない。あなたは私に何を伝達して欲しいのか。「あなた自 身以外に、神はない、アートマンはない、ブラフマンもない。」これが全てである。これ以上 言うことは何もない。 
   全ては開かれているのだ。知識のドアは十分に開かれているだろう。この専心、この「確 信」、二サルガダッタマハラージによって語られたことは、完全なのだ。 
   
   物乞いの少年の話を覚えているか。或る日、彼の叔父(伯父)がやって来て「おまえは物乞 いではない、本当は長者だ」と言った。最初、少年は信じずにこう言った。「あなたは私をば かにしています。あなたは嘘つきです。あり得ない。」そうすると叔父(伯父)は彼を銀行に 連れていき、お金の入った彼の名前の口座を見せた。彼の前に証拠がすべてそろうとすぐに、 彼は確信しそれを受け入れた。 

   このように、師は「あなたはブラフマン、アートマンだ」と言う。あなたは「確かに」とか 「違います、冗談でしょう」と言いながら、なぜ信じないのか。人はどうやって確信するの か。だから「確信」を持つために、あなたは瞑想というこの過程が必要なのだ。瞑想の効用 は、すべての幻影の重なりが消えるということだろう。すべての幻影の重なりが消えるだろ う。そしてあなたはあなたの「完全性」に出会うだろう。「おお、私はそれだ。」自ずと現れ る完全性なのだ。「おお、私はそれだ。」(マハラジは驚いた身振りをする。) 
   師は完全だ。だから、彼により強い尊敬の念と感謝の気持ちを示しながら、あなたは徐々 に師に対してより良い反応を与えている、なぜなら師はあなたの「究極の真理」をあなたに示 したからである。 

   それは盲目的な信頼ではない。師なのであるから、あなたは真理を受けとることができ る。あなたは、もし師に出会わなかったら、このタイプをかき集め、あのタイプの知識、グ ル、この師、あの師と渡りながら、まだそこかしこを放浪している(求めている、本を読んで いる、など)ことを悟る。あなたの「自己なき自己(セルフレス・セルフ)」以外には何もな い。強くありなさい(拳を握りしめて)!どうやってこの過程を受けいれることになるだろう か? 

     ゆっくりと、静かに、永遠に